自己肯定感を上げるには自分のことを好きになるしかないという結論~年々”スキ”を増やせた理由の備忘録~
本日は、「一粒万倍日」という吉日らしいです。
”一粒が万倍にも大きくなる(実る)”という由来で、新しいことを始めるのに最適な日だとかなんとか。
そんな日に、子育てと仕事に勤しむ旧友と久々にお茶しました。
とても暖かい言葉をいただいて、嬉しくなりました。
社会に出てからは社会経験も、ライフステージも全く違う経験をしている私と友人。
当たり前かもしれないけれど、それでも性根の部分は変わらないものもあって。
仕事と子育てという鬼のスケジュールの合間を1か月前から逆算して調整してくれた2時間を、私はいただくのだと思って自然と感謝しました。
同時に友人は、代わりにお店候補や予約をしたことに対して御礼を言ってくれました。
こうやって互いを尊重しあえているからこそ、交友関係が何年も続けられるのだなと思いました。
近況報告をしていて、各々が学生時代より強くなったり図太くなったり、自分のことが好きになれたりできたねなんて思い出話に花が咲きました。
帰り道に今日の気持ちと思い出を反芻して、ふと書き留めておきたいなと思いつきました。
昨今よく目にする”自己肯定感”の低さに悩む方、そういったものとは無縁だけど気になる方、(残り数時間ですが)一粒万倍日に何か新しいことをしてみたい方の参考に少しでもなれば幸いです。
・自己肯定感が低いとどうなるか(私見)
・年々”スキ”を増やせた気がする取り組みについて
①未来の目標を立てる
②形からで問題ないので、自分を愛する
③孤独の時間を作る
④自己分析をする
⑤いろんな体験をしてみる
⑥プチ断捨離をしてみる
⑦推しを作る、推しを推せる己になる
⑧勇気をもって”スキ”を公言してみる
⑨客観性や俯瞰視点を自分に向ける
⑩無理しない
・結局は自分のことを好きになるしかない
・自己肯定感が低いとどうなるか(私見)
状態については今日のメインではないので、とてもざっくり、かつ私見モリモリに書き記してしまうと、「常に自信がない」に尽きるかと思います。
外見のコンプレックスがあるから、喜怒哀楽を上手く表せない。
性格のコンプレックスがあるから、マイナスな思考回路や感情に自己嫌悪が付き纏う。
そうやって自信が削れていくと、自分の決めたことさえも不安になって、誰か(対面する相手だったり、身内だったり)にとっての正解と思われる言動を取ってしまう。
はたまた、その言動は相手の為にと自分が勝手に自分を押し殺して選択をしているのに、押し殺したものは我慢とか自己嫌悪として蓄積されてしまう。
しまいには、自分に好意を向けてもらえた時、素直に受け止められない。
自分自身が、自分のことを好きと思えてないから同意しかねてしまうという大変厄介な状況に陥ってしまう。
表情が、体調が、思考回路が、世界が、段々歪んでしまうかのような感覚。
少なくとも3年前の私は、そんな自分が嫌で、何かしらの長所や個性や好きなことを見つけたくてうだうだ悩んでしまっていました。
・年々”スキ”を増やせた気がする取り組みについて
①未来の目標を立てる
3年以上継続しています。大きな目標だと私の場合は心が折れてしまうので、本当に小さな目標を立てています。
一人で初めての場所に行ってみるとか、誰かへプレゼントを用意するとか、今月自炊は何回やるとか、タスク系から取り組むと、段々楽しくなるかと思います。
個人的には、勉強なら試験があって合否が判明できるものだったり、貯金額や目標第十など目に見える形で結果がある程度出るものだと、嬉しさも大きくておすすめです。
②形からで問題ないので、自分を愛する
「今日も私は可愛い、愛されて当然。最高の一日を送れますよ」
誰かに目撃されたらドン引きされちゃいそうですが、私は毎日出かける前と、就寝前の自分に向けて、鏡を見ながら話しかけます。
憂鬱な時はその気分を受け止める言葉を、鼓舞したいときは笑顔で両肩をバンバン叩きながら、親友に語り掛けるように声に出して語り掛けてます。
恥ずかしい方は、自分の頭を撫でてみる、内心で褒めちぎるとかしてみてもいいと思います。
[余談]
令和の魔法使い浅田先生の著書は、恋愛成就に悩む方向け書物です。ですが、対人関係の悩みにおいても、手段やちょっとの勇気を優しく与えてくれるものでした。自分を愛するということについても考えられるので、おすすめです。
③孤独の時間を作る
コロナ禍を挟んだこともありますが、自己肯定感が低かったと思える時期は、思考停止を望むかのように予定で沢山入れてしまっていました。
それはそれで楽しかったけれど、気力体力を削って倒れるように寝ちゃったり、何だか自分自身と向き合うことに目を背けていたんだろうなと今では思います。
程よい空白の時間は、孤独を感じる瞬間というのは、悪いことではないと思います。
結果的に、自分自身や環境を見つめ直せるいい機会だったかなとは思います。
④自己分析をする
気分転換程度でいいと思います。
私の場合は、しいたけ先生の星座占いと16タイプ診断、四柱推命がとてもしっくりきて、共感と理解をしてもらえた嬉しさと、言語化してもらえたことによるスッキリさを感じて、励まされました。
入れ込み過ぎてしまうと元も子もないけれど、天気予報のような感覚で、少しでも気が晴れたり迷いがなくなったり、自分のことを深堀出来るきっかけになるなら、診断や占いを利用してみるのも、新しい発見があって面白いと思います。
⑤いろんな体験をしてみる
内側へ深堀することがしんどい時は、外に刺激を求めてみるのもありです。
新しい場所、体験、交流は、異なる視点からの楽しさや喜びや安心感を得ることができます。
いくつか試してしっくりこなかった場合も安心してください。また新しい体験に挑戦してみるのもよし、元来好きだった休日の過ごし方や趣味に立ち返ってほっこりするのもよしです。
プラスの感情を蓄積して、自分の状態を”好きだな”と思えると、私は自己肯定感のグラスを数滴ずつ蓄積していくことができています。
⑥プチ断捨離をしてみる
掃除、物を捨てる、というのも差しますが、人間関係を手放すことも時にはいいかもしれません。
人間関係で言うと、私は昨年1つのコミュニティを静かに抜けました。
楽しいこともたくさんありましたが、金銭感覚や会う頻度の濃密さに、うっすら感じていた違和感が出てしまっていたからです。
大きなトラブルがあったわけではないのですが、孤独の時間を設けたことで、自身の内面と向き合った結果、一人で創作をしたり何かに打ち込む時間も大切にしたい気持ちに気が付きました。
2~3年の間で毎月程度集まっていた友人たちのグループだったので、抜けた当初はとても寂しかったです。けれど、同じくらい、私は他の友人との時間も自分だけの時間も大切にしたかった。申し訳ないけどこの頻度を維持していると他に皺寄せが行って、結果的に自分がもやもやして、自分自身の在り方が好きになれないと悟った。
当たり前ですが時間が経ってまた個人的に会う人もいれば、距離感が開いた人もいます。でも、少し疎遠になってしまっても友人は友人。
理由や好きなことを公言できるようになった私が、グループを抜けた理由を伝えたら、理解したり共感してくれる友人もいました。結果的には、お互いのためになれたと思います。
⑦推しを作る、推しを推せる己になる
こちらも入れ込み過ぎて過激になると大変かもしれませんが、とてもおすすめです。
まず、日々があっという間に輝きだします(笑)
次に、推しに恥じない自分になりたいと思えるようになり、外見内面共に自己研磨への意欲が生まれます。
過激派でなければ、推しを通じて新しい交流関係も増えたり、楽しみ方も増えたりするので、労働への意欲も促進されます。
ただ、炎上やコンテンツ終了などと言ったこともあってまさしく「推しは推せるときに」が鉄則となってしまうので、諸刃の剣であるとも痛感しています。
因みに私は、推しの炎上で無事淘汰されました。
今振り返れば酸いも甘いも楽しい思い出ですが、炎上の瞬間はもう体験したくないです……
⑧勇気をもって”スキ”を公言してみる
推しの部分にも繋がると思いますが、気軽に”スキ”を公言すると、びっくりするほど”スキ”に気が付けるし、”スキ”が集まってくるし、そんな自身のことも”スキ”になっていきました。
「甘いものが好き」
「(積読本ばかりだけど)本が好き」
「(新参者だけど)あのアーティストの曲が好き」
(××だけど)の部分は、自己肯定感が低いとひっかかりやすいポイントだと感じています。
枕詞としてどうしても入ってしまうから、自分自身がなんだか気が引けて、公言するまでに至るにはあまりにも自信が持てず、口を閉ざしてしまう。
でも、この部分を恐れずに公言してみると、案外他人は受け入れてくれたり受け流したりしてくれて、好きなものを好きでいるのって、大仰なことじゃないんだなと思えて来ます。
そして私が今こうやって文章を書いていることも、書くことが好きと公言できるようになったのも、自分自身を好きになれたからこそ、口にしたり取り組んだり、楽しんだりできている証でもあります。
⑨客観性や俯瞰視点を自分に向ける
自分に自信がないから、自分の”スキ”が分からないから、目の前の相手が心地よくいられる言動を最適解と誤認して立ち振る舞ってしまうことがしばしばありました。
多少なりとも社会に出て生活をしていればあり得ることかもしれません。でも、帰宅して一人になった瞬間に枕を涙で濡らすほど神経をすり減らしているのは、控えめに見てもおかしい。
そう気が付きながらも、悩む時期がありました。
というのも、私の場合は相手の機嫌に影響を受けがちだったからです。
少しずつ実践することでしか回避できない事象であるとも思いますし、なるべく回避できるなら回避した方が良いとも思います。
それでも、まあまあ感情の起伏が激しい人に遭遇したり、理不尽な怒りを向けられてしまう状況に陥ってしまう場合はあるかと思います。
以前の私は、相手の感情に引きずられて、自分のコンディションを戻すのに1週間くらいかかることもありました。
けれど、状況のみを客観的に、ドラマや漫画のシーンのように、第三者の立場で見つめることができるようになることで、かなり軽減されました。
例えば、お仕事で理不尽なクレームを受けてしまったら、相手の機嫌を分析して、自分の状況を分析して、おしまいです。
ああ、この人はなんか知らないけど怒っているんだ。
私は怒っている人の前に立っているだけで、この怒りは私の感情じゃないな。
そんな風に分析することは、家の中で、窓の外で吹き荒れる大雨を眺めているような感覚です。自分の感性から、いらないざわつきに関しては分離することができると、平穏を取り戻すのも早くなります。
⑩無理しない
考えすぎても負の思考回路をループしてしまうことがあります。特に夜中!
そんなときは無理に自己肯定感~なんて考えずに、ゆっくりしました。
唐突に自炊を辞めてピザ宅配頼んだり、好きなだけ甘いもの食べてみたり、気が向くままゲームをしたり、休日は一日中寝てみたり……
こんな自分じゃだめだ!
何か生産性のあることをして自分のことを好きになれるような性格や特技や長所を作らないと!
こんな風に考えてしまっている時は、疲れちゃったんだね~お茶飲んでケーキ食べてよしよしおねんねしようね~~! で、いいんです。
ある日ふっと、もうそろそろうだうだしてる自分に飽きたぞって頃合いが来ます。
・結局は自分のことを好きになるしかない
沢山書き連ねてしまいましたが、結論はこれに尽きると思います。
自分自身が、日々何を思い、感じて、どんな気分であるかは自分自身が一番最初に分かるもので、一番近くで見守っていること。
だからこそ、自分自身を一番に労わってもいいと認めること。
そうすると不思議なことに余裕ができる。身近な大切な人たちへの愛情は、その余白分で発揮する程度でも失礼に値しない。
日々意識していれば、余白はいつの間にか大きくなって、自分も大切な人たちをも大きな愛で包み込める日が絶対に訪れる。
私は年々自分のことを好きになれたから、文章を書くことが好きだと、人前でも公言できるようになってきました。私が好きな私を公言することは、私の好きな人たちも私を応援してくれるという結果に繋がりました。
単に友人に恵まれているだけかもしれません。でも、もっとこのご縁を大事にしようと思えるようになれたので、悪い取り組みではなかったと思っています。
どこかの誰かが、未来の私が、ちょっとくよくよしてしまったら、思い出して何かアクションができる契機になりますように。
おしまい
*1:詳細については後日1つ1つ取り上げて記事に残したいと思います。