春告げ鳥のさえずり

日々と思考と、きっと愛

愛を以て毒を制す

思いもよらぬ場所から殴られたら、どうする?

泣きじゃくる、報復する、訴える、耐える、その場所から逃げる……

様々な反応があるだろう。

そのなかでも私は、内包した怒りを原動力に変える類のようだ。

怒り、といっても自分のことよりも、自分の大切な人達が何かを被ってしまった時に起きることが多い。

 

 

 

行きはよいよい、帰りは怖い?

 

わらべ歌ではないけれど、来た時と帰る時で異なる、駐車場の状況で立ち往生しかけたことがある。

 

その日は久々に家族そろっての外食だった。

免許取り立ての弟が、両親に代わって運転をすると意気揚々に運転席で車を出していた。回転寿司をたいらげて店を出る頃、父はほろ酔い、駐車場はほぼ満車・日はすっかり沈んで道も暗く見えにくくなっていた。

 

今思えば、弟はきっと内心焦っていたのだろう。

合流の為左折したところ、左側の前タイヤがブロックにぶつかった。後ろには待機する車、車道の手前は歩道だったため、自転車や歩行者が行き交っていた。

弟はアクセルを踏み過ぎてしまい、思ったよりも勢いよく車体が後退した。後ろの夫婦が何かを察して、強張った面持ちで同じように車を少し後退させたのを、後部座席で見たことをよく覚えている。父は飲酒をしてしまったため、弟と一緒に狼狽えるばかりであった。

 

私自身は、運転が得意ではない。胸を張れたことではないが、ブロックに乗り上げたことも、駐車を失敗してフロントガラスを割ったこともある。(誰も同乗しておらず、実家の敷地内での出来事で本当に良かった……)

けれど歩道にいた数人グループが、弟を指差し笑った瞬間、私は胸元辺りをガツンと殴られたような、重たい空気を受け止めた感触に支配された。自分の中ではあまりよろしくない感情が、着火した瞬間だった。

 

そこからの行動は、早かった。気付けば私は弟を後部座席に座らせ、周囲で少し離れながら待機する車や人に頭をぺこぺこと頭を下げ、運転席でハンドルを握った。

歩行者はまだいた気もするし、道路を渡って消えていた気もする。

 

すんなりと切り返しをして車道に出ることができた私は、車を実家に向けて走らせ続けた。車内は、しんと静まり返っていた。

 

「もおおッ!」

 

信号で停止した瞬間、私は思いっきり怒号を上げた。やっと、私は本当は怒っていたことを自覚した。弟は黙っていた。私もお礼が欲しかったわけじゃなかったので、何とも思わなかった。ただ、癇癪を起して喚いた娘を、両親が各々優しい、優しいと呟きながら褒めた時は段々可笑しく感じ、吹き出してしまった。

 

昔いた職場でも、似たような形で殴られたかのような感覚を受けることはあった。

同僚がハラスメントを受け休職した時だ。相談した上司の対応が腑に落ちず、落ち込んで休職まで追い込まれた同僚を、彼女の問題だと黙認する気にもなれず、むしゃくしゃしたまま、然るべき所へ相談をしたり、組合に相談を持ち掛けたりした。

結果、親身になっていただき、あれこれとアドバイスはいただけたりもしたが、本人が行動を起こさないといけないことと、大事にしたくない意向を受けたこともあり、私はそれ以上の行動を控えた。当時の私の行動が”善い行い”だったのかは、今でもよく分からない。当人との関係は悪化しなかっただけ、マシなのかもしれない。

 

どうしてこんなことを思い出してしまったのか?

それは、つい最近、”思いもよらぬ場所から殴られて”しまったからだ。

 

学生からの10年以上付き合いのある、大切な友人でもあり、同僚になって3年目の大事な戦友は、上司からのハラスメントで退職を決心した。小さな会社であることを考慮して、本当の理由は伏せたままにするという。

 

聡い友人は、私の気持ちを鑑みて、今後の方針も含めてひと通り話してくれた。友人の涙を見た瞬間、私は沸々する感情を感じ続けていたが、じっと押さえつけることに専念した。

別に会社や上司と戦いたいわけではない。ただ、理不尽に横殴りされたままであることが嫌だった。剣にはなれなくとも、友人を理不尽から守る盾になりたかった。

 

とは言え、悪いことばかりではない。

幸いにも私は今この瞬間まで歳を重ねている。つまり、試行錯誤しながら生きてきた。

おかげで年々、私は私のことが好きになれた。

好きなことを好きだと、臆せず言えるようになった。

大切な人たちがより一層大切になった。

だから、守り方も戦い方も、一つじゃないことは何となく知っている。

 

得てきた経験は、今の私を助けてくれる。今の私には、新しい戦い方ができることを教えてくれる。

 

何より、理不尽に横殴りされたのだ。突然、幸福に抱きすくめられることを期待したって別にいいよな、ともどこかで思える心がある。

友人には、私ができる方法で、私なりの範囲で、友人を助け、幸せを祈ればいい。

そして自分が生み出してしまった怒りや毒は、創作で昇華してしまえばいい。誰にも迷惑は掛からない。

多分難しいことなのかもしれないし、傍目からしたら逃避なのかもしれない。

でもどうせ戦うなら、笑顔で、幸せに、声高らかに、胸を張って、相手より高いところから宣戦布告をしてやりたい。

 

毒を以て毒を制す?
否、否、私は愛を以て穿ってみせる。