春告げ鳥のさえずり

日々と思考と、きっと愛

短編:愛犬が出張先についてきた気がする話1

高山出張での出来事である、

仕事柄出張が多いとはいえ、高山に来るのはその日で3度目だった。

正直、タイミングが悪かったのもあり、その時期の出張は内心泣き泣き赴いていた。

 

愛犬(本名は大切にしたいので、ここでは愛称であった”チャンチャン”と表記する。名前の由来については残念だが、また別の機会とさせていただこう)の体調が崩れたのが一か月前だった。正直、いつ亡くなってもおかしくない状況だったため、びくびくしながら高山へ2度来ていたのだ。

毎晩、両親に電話しては、泣きながら安否確認していた。

 

(そう思えば、今回の出張は気が楽かもしれないな、なんて)

 

駅の改札をくぐりながら、どうしようもならない心持ちで、私は失笑してしまった。

だって今回はもう両親に電話をする必要は、チャンチャンは、なくなってしまったのだから。

 

✿✿✿

 

一仕事を終えて、ホテルへ戻った時のことである。

机に向かい、ノートパソコンでメール処理をしている時に訪問者は現れた。

 

左目の端、室内のベッドと扉の間。明かりではない、白い、丸い灯火。

それが突如、視界に映りこんできた。

 

体感でいうと、たったの2~3秒である。けれど、その白い灯火から、ないはずの視線を感じた。ああ、見られているなと私は何となく思った。

人の視線を身体で感じて、なんとなく振り向いたら見られていた、という状況に限りなく近い感覚。

いつから白い灯はそこにいたのか、私の気が付いたタイミングが遅かっただけで、ずっと見られていたのではないかという気もしなくもない。

どちらにしろ、嫌な感じはしなかった。むしろ、私はこの視線を知っているとさえ感じた。

 

実際に知っていたのだ。

実家の自室で、この白い灯火は、同じような場所から、同じように私のことを覗き込んできたのだから。(補足だが、私の視力の問題ではなかった。この出来事とは別件で、1ヶ月後に眼科で精密検査を受けに行ったのだが、検査結果は特段問題なかった)

 

左端、私の頭上より少しだけ高いところから。

ギリギリのところから、私の顔を覗き込もうとしている、白い灯火。

私は、パッと顔を上げた。

 

「チャンチャン」

 

ホテルの客室内はしん、としていて、自分の声が響くだけだった。

けれど、私は確信を持ちながら、1回目と同じように、もう一度声をかけた。

 

「チャンチャン」

 

白い灯火はもう見当たらない。

愛犬の名を声にした途端、この数週間どうにか押し留めていた気持ちが、瓦解して溢れてきた。私は身体ごと、白い灯がいた方向へ向けて、静かに頭を垂れる。

 

「ついてきちゃったの? 行ったことない場所で、楽しめた?」

 

深い愛情は、深い哀しみとして、ずっと突き刺さったまま残っている。

 

「チャンチャンが大変な時期、帰らずにこんな所に、私いたんだよ。今回は一緒に来てくれたんだねえ。ねえ、ごめんね」

 

”玄関先で実はずっと、貴女が帰ってくるのをチャンチャンは待っているのよ。”

転職したてで、あっという間に生活リズムが変わった私のことを、あの子なりに心配したり恋しがったりしてくれていたのかもしれない。母からの言葉に、より一層なんともいえない罪悪感が募ったのを、今でも忘れられない。

 

勿論、ペットだ。たかが、と言われてしまうかもしれない。

けれど、私にとっては確かに姉であり、妹であり、親友であった。

そんなことを思いながら、ベストを尽くせなかった自分が、自分の選択が、嫌だった。

 

出張だけじゃない。休みの日だって、出かけてしまったり、1日中寝てしまったり。

もっと、もう少し、少しでもチャンチャンと過ごす時間を確保できたというのは紛れもない事実で。

いつどうなるか分からないからこそ、まだ大丈夫と目を背けたのも否めないことで。

そうは言いつつも、余命から凝縮された1ヶ月だけを見るなと思う自分もいて。

そんな中でも、チャンチャンと私だけの大切な時間を設けられたことも事実で。

折り合いなんて、どうにもこうにもならないまま、平然と日常を過ごすことがしんどかった。

 

白い灯火を最初に見たのは、火葬から帰宅した晩だった。

眠りにつく直前、暗闇に白い淡い光が現れた。あの日は、ただただ号泣することしかできなかった。今回もこんな所まで、ついてきてくれたのは、泣き虫の私を心配してしまっているのかもしれない。

だから、今回は無理をしてでも伝えたかった。

 

「ごめんね。ありがとう。私は大丈夫だよ。頑張れるよ……大好きだよ」

 

自分に言い聞かせるように私はひとしきり言葉を吐き出して、両手を合わせた。

最期の時期に、全力で悔いのない選択をすることは叶わなかった。

けど、そんな私でもチャンチャンを無償で愛していたと、足らなかった器量に後悔をしながらも伝えたかった。

なぜなら、私でも無償で愛されていたのだと、確かな実感がずうっと残っているから。

 

後から調べて判明したが、その日は、旅立って六七日(むなのか)と呼ばれる日だった。閻魔様が生まれ変わる先を決定した翌週で、審判として生まれ先やら何やらが確定する日なんだとか。

 

私の口癖のひとつで、”生まれ変わったらまたうちの子になってね。人間でもいいよ”という話を一方的にしたことがある。

意味がわかっているのか、わかっていないのか、チャンチャンは黒い瞳を不思議そうに丸めながら、じいっと私の話に耳を傾けていた。

 

なんの保証もないけれど、私はまたチャンチャンに逢えると信じてやまない。

今世で生まれ変わったチャンチャンなのか、私が三途の川を渡った後なのか分からないけれど。

チャンチャンからの無償の愛のおかげで、私は私の人生を全うする勇気を貰った。

チャンチャンが最期まで生を全うする姿を見せてくれたから、私も、私の生を最期まで投げ出さない決意をすることができた。

 

いつか、チャンチャンと過ごした月日を、命日からの月日が上回ってしまったとしても。

私は貰った沢山の幸福な思い出と一緒に、土産話を沢山抱えて、見せてあげたいと思う。